フナヤオリジナル鮎竿についての夢とビジョン
 東京から戻って来て家業を継いだ!父親が小学校の5年生になったばかりの5月の連休に倒れ、昭和37年5月9日正午頃帰らぬ人となった。
子供の頃大きくなったらの夢は憧れの職業等で、華やかな夢を追う。野球選手だのパイロットだの大会社の社長だの子供だから「なりたい!」と「なる!」の区別がまぜこぜになる可愛い夢。勿論、初志貫徹で政治家になったり、医者になったりする方も多い。
この傾向は一般社会で通説的に地位や収入の多い職業につく人に著しく、やはり小学校時代の優等生に夢を叶えるケースが多い様な気がする。
中田英寿が世界に通用する様なプレーヤーになるには中学生の頃には成るべき職業のその道に入り込んでいなくてはならないとWorldCup選手に成る逸材原石探しの仕事をここ1年位するそうだが、確かに夢を現実にする道を究める為には小さい頃から自意識を持って邁進出来る判断力のある人が将来的に大成するのだろうと思う。         
話がそれたが、私は全く逆で「釣具屋」になろうと思っては少なくとも親父が亡くなる迄は想ってもいなかった。
子供の頃の記憶をたどれば、お通夜の日から事ある毎に、「お母さんを大事にして!大きくなったら仕事で助けてあげて!」の様な励ましの言葉をその後10年間はよく言われたものだ。
勿論お袋には感謝しているが、自分で敷いたレールでない仲々脱輪・脱線しない様なレールが「家業を継ぐ」駅に向かって一気に敷かれた様な気がする。釣りは嫌いではなっかったが本や音楽や映画を見る方が好きだった。
回りの人々の言い付けを守るが如く子供ながらに翌年の38豪雪の際には5度か6度胸位ある屋根の雪下ろしを小学六年生、一人でやったのも母親を守るべき、そんなつもりで自分がやらねば!の使命感的気持ちからだと思う。
中学〜高校と家業を継ぐもんだと信じこんいる自分に違和感もなかった気がする。        

 何とは無しに大学を卒業したが、家業を継ぐ以上釣りはしなくては!の想いから、帰郷後は全磯連・全日本サーフ・日本ヘラブナ研究会にも所属した。
船釣り・渓流釣り・勿論鮎釣りにも没頭した。
今鷹巣沖や三国沖でフカセ釣りで真鯛を釣るのが当たり前の様になっているがその原型を造りだしたのは我々と釣り仲間である。当時サバぐりで真鯛が上がるとのいち早いNEWSを聞いて即釣行、勿論事前に仕掛を聞いた。
天秤にオモリ20号を付けて真っ直ぐ降ろして待つ!サバグリで20号が真っ直ぐ立つ!?・・・・・・オモリは中通しの1〜10号のオモリで良いぞ!の判断。カゴに沖あみを詰めてハリスは長く取ろう!磯釣りのフカセの要領で攻めよう!勿論、50〜80cmの真鯛が爆釣!連日爆釣!竿の矯め具合、やり取りを嫌という程、試させてもらえる良い経験でした。
そんな事もありました!とにかくやってみなくては納得しない質(タチ)は店はお袋に任せて釣り三昧の日々だった親父の血?子供の頃親父のスクーターの前に座り込んで川に何回か連れて行かれほったらかしにされた鮎釣りの本格的デビューは23歳。
当時連れて行かれたのは今の川相より尚男性的な飯島〜北島ばかり、何回流されたか!荒瀬に立ち込んで水飛沫を顔や頭に受けながら竿を出す事が鮎釣りと信じていた。「鮎釣りは取り敢えず体力だ!」掛かるとのされ取り込むとハナカンのフック式が上手く閉じれずモタモタし立ち堪える方に神経が集中、腰より深く立ち込んでいて掛けた鮎が飛び出して行く事度々の連続、半日いて5〜10匹の鮎しか持って帰れなかった。
掛けるのは三倍位掛けたがとにかく荒馬の如くで繊細さがない分良くばれたが道具は一流!
竿はがまかつ・シルバー硬調75とゴールド硬調81を使っていた。(30年前の価格が¥77000と¥110000だと記憶しているが初心者が使っても良さはそれなりに判ったが、猫に小判、5匹キープするのに四苦八苦する友釣り、鮎が釣れなくて8月上旬飯島でその竿のままコロガシで20匹余り小一時間で取って鮎っているけど釣られない技術の差と考えずに竿だけ出しているだけのやり場のない悔しさを味合った事がある。
今思えば良く叱られなかったと反省・・・それだけ平日は混んでもいなかった・・そう言う問題じゃない)とにかく、馬車馬の如く川を歩き回り、結果鮎釣りは疲れるのも、飯も食わず立ち込んでいるから身体は冷え、帰って湯船につかると先程まで太腿・脹ら脛が荒瀬で揺り動かされていたと同様な錯覚に襲われいつまでも筋肉の震えが止まらなかったのを思い出す。
でも、釣れなくても、疲れても、鮎釣りの魅力に引き込まれて行く自分がいた。
当時飯島の笹岡さん・北島の石田さん・坪川・南部さん・坂東の竹生さん達に良くお世話になった。懐かしい想い出である。

当時から先竿はグラスソリッドを入れるのが普通で大抵の鮎師が改良していた記憶がある。
九頭竜式の鮎竿って先だけがおじぎするもんだと認識した最初頃の印象。
見様見真似で竿も柔らかい先竿にしてみた。囮鮎が元気な時は竿先は馴染むが、掛けバラシをして弱った囮に変身(?)すると流速に負けむやみに突っ込み過ぎたり、波打つ状況になってオモリを大きくすると囮やオモリがかむと言う最悪の瀬釣りパターン。
感度は細い方が確かに優位ではあるが、瀬の荒さ具合では弱点になると思う。釣れないから工夫をするのだが、今もてはやされているソリッド釣法は新しいものではない。
九頭竜川で釣りを昔からやっている鮎師の中では昔からの釣法でもあり、実際中盤以降、鳴鹿堰堤より上流で使ってる方は極少数だと思われる。
そして大物を溜めて抜く!激流向きの釣法ではないと個人的に解釈する。
ダイワ初期のSF穂先はオモリを付けない、チビ玉で囮が流れに同化している様なシチュエーション、つまり急瀬位までの釣法と理解する。
針掛かりもフッキングの原理からいっても針先が立って食い込む為には曲がりきって竿が掛ける作用力を逃がしてしまうより竿先はチューブラ穂である程度曲がっても針先に刺さる保持力を与えるべく硬くなくては成らないと考える。勿論、竿は曲がる事でPOWERを出す。俗に言う「反発力」というやつ。
先径2.2〜3mmの竿は引き易く・抜き易くなるが、けられる現象が竿先でも発生しやすく曲がりが出過ぎず針先の食い込みも悪くなり、針立ちは早いが、より大針を使用しなくてはバラシも多くなる。
当社の超硬が先径1.6mm・1.8mm・1.85mm・1.9mmと出来るだけ細身にこだわるのも針と竿先の曲がりベストバランス・強いて掛けてから、より食い込ませ、竿先が曲がる事で硬すぎる為に起きる身切れを極力防ぐ為の試行錯誤から導かれた鬩ぎ合いの最終結論数値であると理解して頂きたい。

 竿との出会いの中で衝撃的だったのが福井初のG杯チャンピオンの立花幸二氏の竿との出会いである。彗星の如く初出場初優勝・翌年は3位と実力は凄いものがある。端から見ると凄い人も、優勝する前から知っている俺達にとっては余り道具に頓着のない川筋のお兄ちゃんであった。
突然G杯に出るから「がまかつ」の鮎竿を買う!と宣言。一番短くて硬い竿が欲しい!との要望だった。
マークUかプロミネントか忘れたが、8.1mの超硬を勧めた!商談成立。
すると、突然金鋸を貸してくれって手渡しすると新品の竿の穂先を7〜8cm切り、穂持ちも真ん中辺りを切り下から切った穂持ちの細い方を差し込んだ。
75の超超硬の誕生だ.。使う前から竿を切ってしまう根拠は今迄使っていた竿もその様に改良していた事が伺える。
その時はなんて事を!としか思わなかったが、立花さんの釣技を見て「理由が飲み込めた」し、自分自身も竿への考えもこの辺りから真剣にこだわる様になり始めた。まず立花さんの釣技について語らなければならない。
勿論瀬釣りを得意とし2時間で84匹を掛けたという猛者、小学生から鮎を釣っていて身体に技が染み着いている理論派と言うより職漁師タイプ。
当時の仕掛を解説するとオモリはひも付きの丸玉,、道糸は0.8〜1号と当時でも旧式だった。チャンプになって原稿依頼が殺到してよく相談を受けた。
知り尽くしている事を現場で竿を出してやる事と、メディアが要求する表現力やストーリー性を持たす様な文才で読者をも唸らす釣り師は鮎の世界なら「伊藤 稔氏と大西 満氏」位しかいないであろう。
話を聞いて本質や核心部分に触れると持っている技術や考え方にも触れ、彼のその時々釣るべくして、釣るトーナメンター的要素や工夫が流石、沢山あるな!と感心させられ、勉強させられた。
非公開になっていると思うがそれは立花氏が素朴で真面目でシャイな一面を持つ好人物のせいもある。
実際の彼とスター扱いにされた時のエピソードの一つ・・・第8回G杯の表彰式の時司会進行役の大西満氏が締め括りに「では初出場で優勝された立花幸二さんに使用された仕掛について公表して頂きましょう!」と話を振った。
立花さんは「えーと・・・仕掛は・・仕掛は秘密です。聞きたい人があれば個人的に聞きに来て下さい」と答えた。
すると大西氏は「大会は釣技の進展や釣り人の親睦の輪を創って行く物じゃないかな秘密というのは頂けませんね!」的な事を明け透けに会場で言った。普通考えると大西氏の言う事が一理も二理もある。
しかし、僕は違った!立花さんはハイテクな仕掛を使わないから1号の道糸に片側だけ綿糸のついた丸玉をジョイントちち輪に竿先リリアンをくくる無精づけワンタッチ方式で素早くオモリを取り替えていた。
斬新な考えを全面に打ち出して感心させるよりも、 「ローテクで安価な鮎仕掛・こだわりの少ないハナカン・針迄漁師風な仕掛で優勝しました!技術がハイテクな仕掛を上回るのだ!」と大見栄を切って言えなかった!のが真実だと思っている。
秘密というのは照れ隠しで出た言葉だと彼の名誉の為に言っておきたい。
竿の事に戻るがG杯で立花さんの釣技を見たが驚く事竿の引き上げがめちゃめちゃ早い事・・・これはオモリが大きめで囮までの長さが長いからだと思う。オモリはコンコンと底石に当てながら引き釣り、オモリから50〜60cm離す事で囮の動きを良くする。
掛かってからは竿は天に突き上げるだけ!竿が硬いからズボッと抜け出て目の前にぶら下がる。
掛かり鮎そのままに囮を空中で外して腰玉網へ、そのままぶら下がった鮎を針外してハナカンを通して逆針打って下へ送り込む引き上げる。
掛かるおもむろに玉網編みの中の囮を引き舟の中にしまう。その連動した動きの早い事流れる様で次々鮎を掛ける。
あんな腰の強い竿があれば確かに合理的だと感じた。立花式鮎竿は一躍話題となり俺も私も僕もと竿を詰めだした。
商売柄切ったり、詰めたり、化粧したりは僕の仕事となった。とにかく、毎日、毎夜仕事が済んでからが竿直し・改造の日々であった。      
何十本いや何百本という竿を切ったり刺したり巻いたりした。竿の調子の勉強が出来たのもこの頃この作業のお陰と感謝している。
魚影が濃い時代は棒の様な竿でも抜けると言う竿の調子は特別重宝がられた。しかし、そうでない、追い気が悪い状況になる時代が待っていた。

 実戦では湖産鮎が放せば放しただけ川一面にいた頃は瀬のまくれ目掛けて囮を入れると大きめの石なら3匹は掛けなくてはならない!と先輩諸氏に言われた。単純に石の左右と後には鮎が就くと言うのだ。一瀬流しても微妙な竿の出し加減で確かに掛かった。
百=束釣りの記憶も何回かあるがハナカンを通して送り込んでの動作を繰り返すが空振りなしで連続23匹掛けた.。出し掛かりである。
送り込みから玉受け交換迄一連の所要動作60秒として25分間同じ場所竿9mの上下15m位の範囲で入れがかったと言う訳だ。
勿論3〜5連続というのは数知れずあった半日で100匹釣ろうかと言う魚の濃い時代も体験した。
硬い竿も随分あってがま鮎マークUゴールド超硬・SS超硬・オリムピックの超硬天呼・ダイワのボロン超硬等々は重量も350g〜400gで8.1m。
20数年前で価格も13〜18万位した記憶がある。鮎竿が進化中でもあった時代、鮎竿は高いが鮎も良く釣れ需要も飛躍的に伸びた。

 竿が入荷してきて段ボールからだして店に陳列する前に「見ていい?!」「勿論どうぞ!」2〜3分後に「この竿もらう!」と商談成立。
そればかりでなく店内にいらした別の方までが、「僕もそれ下さい!」今では夢の様な時代でもあった。この辺から自分の気性が出るのだろう。
こんな高額の竿を買うのに見比べる・振り比べる・持ち比べる事も早々に、物を買われて後悔?満足?納得?されるのだろうか!・?の疑問が・・・・・。
広いスペースでショー形式で各社の竿を見比べられる!・・・・それなら満足・納得するお買い物が出来るだろう!との出発点から始まったのが来年で22年を迎える「鮎竿・あゆグッズフェア」である。
催事場・体育館・結婚式場等を経てここ7年は可動式什器の威力発揮で店内150坪の2/3のスペースにあゆ用品・勿論鮎竿延ばしたままの陳列で振り比べて・持ち比べて購入して頂いている。
自分自身が買うのだったらの発想でやり始めた事、紆余曲折は当たり前!でもやってて良かった!事も沢山あり、人まねでない独自性が大事だと痛感している。自分が見て気に入った竿は自信を持ってセールス出来るし、この竿は此処がこうだからと言う説明も出来る。

 これに相通じるのが「フナヤオリジナル鮎竿」のコンセプトである。
自分が買うならこの重量・この価格・この硬さ・この位の持ち重り感・見た目より中身等まず販売価格ありき!の発想。炭素繊維値上がりで御迷惑をお掛けしたが製品第一号FM超超硬81は抜きを決めるのは#2〜6のPOWER!穂先は食い込み重視の細めで出来るだけ短い寸法(先短設計)のチューブラ穂=先径1.6mmの超超硬で重量320g迄税込売価¥29800(平成15年)が必数条件からが基点。(現在は御存じ素材高騰で39800円・税込)
あとはメーカーに相談・無理を承知で儲けはなくても瀬釣りの手軽さ醍醐味を知ってくれれば、九頭竜川の真骨頂の荒瀬の鮎釣りの面白さを知り、楽しんでくれる人も増えてくるのでは!それだけで良い。とやや乱暴なスタートだった。
使い易く安価な竿を提供するのが目的である為81が少し短いと言う方には少し柔らかめで重量負担も最小限で押さえ込める8.5mがいいだろう!
重量325g価格も¥43500で、がFM超硬85。
九頭竜川は押しが強いが激流ばかりじゃない、金属糸や細糸を使って競技クラスの取り込みの早さと高感度、片手で操作出来る勿論先調子設計で値段は10万円以下・270g以下で造れないか!?造れる筈!!の信念を持って試行錯誤を繰り返し繰り返し、2年目に完成させたのが、今でもBIG HIT中の「引抜急瀬90」 無理難題でも話し合えば岩をも砕く。が良い教えで勉強となった。
何故先調子に拘るか! 「先調子」の利点は瞬時操作が遅れても主導権が奪い返せるからだ。
磯釣りに九州・伊豆の離島へ通い詰めた時期がありヒラマサのメーターオーバーやシマアジの6kg・尾長の65cm等、柔な竿はのされればバレないが取り込めない事を、逆に硬すぎても曲がらない竿は持ち堪え難くなる事をボロンロッドで、嫌と言うほど味合わさせれた。
細身のティップにその曲がりをサポートする穂持、その穂持を影ながら支えきる#3!
#4・5・6は竿の命。良くも悪くも曲げの起こしは曲げの保持力はここの部位で決まる!高弾性カーボンをフルに使うべし!元上・元竿はPOWER伝達の極致!竿の調子で変化球。試行錯誤で良い竿を造りたいが、胴じわれする竿は造る気はない。
引抜急瀬が出来た年、20万クラスの鮎竿を使ってる鮎師に片っ端から評価を聞いた。社交辞令かも知れないが異口同音に「なんて良い竿!シャープだし値段からは想像できない良い竿だね」と「一本買って下さいよ!?」と冗談交じりに言うと「僕は○社の○○○を持ってるから良いけど、友達に勧めてあげる!買うんだったらこの竿が良いって!」結局本当に紹介してくれたのは誰もいなかった。
何で値段で評価付けされるんだろう?今に覆してみせる!がスーパーライト超硬90や急龍竿90を造ろうと思わせたバネにもなっている。
今では普通の様に上級者から御指定を受けるが、此処までの道程は険しく遠かった。
とにかく竿を売ると言う作業で自分が価値観を見出せる自分が買う立場ならこの売価から!の発想も繊維値上げでやむなく値上がったが元々の竿造りの夢の守るべき点は「買いやすい価格の中に驚く性能を秘めた・持ち重りしない高バランスな」竿を自分が使うつもり・買う立場となってで真剣に手掛けた。
と御理解頂きたい。

 何よりもオリジナル鮎竿を造らなくてはならないとした理由の最大理由は「こんな竿が造らなければなかった」から。
福井県の中で自慢すべき物は少ないがその中でも大河・九頭竜川の鮎釣りは自慢出来ると思っている。
他府県にも昔は良く出掛けたが行けば行く程九頭竜川の魚影の濃さ・ダイナミックさ・川の広さ等々を見直す結果となる。
而して地元指向だが対応する鮎竿がない!ましてや最近の竿はむやみに瀬釣り対応の竿が胴で調子を取る竿が多くなったのがこんな竿があれば・・・!と造るきっかけとなった。とにかく市場にない物を夢を現実にした様な物をが「SUPER HARD超超硬85・・・・25cm以上の囮を付けて27〜28cmの掛かり鮎が抜ける竿で320g前後で値段は9万円初回生産分は89800円(税込)であった。(現行99800円(税込))
この竿が火付け役となり、高橋・谷口・飯島・北島・坂東島で囮25〜28cmに掛かり鮎27〜28〜32cmオモリ5〜10号で下がらず抜けたと多数報告あり25〜28cmまでなら何処のメーカーの竿よりシャープに使えこなせる!とのお墨付きを頂いている。
もう1本のDreamRodは片手でこなせる9m299g以下の高弾性超硬RODこれは世の中にない!値段は12〜13万!
上級者向けの高感度・最軽量で疲れ知らずの瀬釣り体験をして欲しいが望み!出来栄えは良く、評判もすこぶる良い。
これも使って使い易い・感度も・抜けも抜群とのお誉めばかり。造って良かった!の実感を感じる至福の時。これが今販売数NO1のSLU超硬90.
これに懲りず925の超超硬(御存じ必殺仕掛け人=撃龍竿925)・232g・90の細身急瀬を発売プロトの貸出時点で多数の御注文を頂いた。
(最高傑作!と自負する=急龍竿90)長い超硬があればがSLU超硬94・フル65dで竿を造るとどうなるが競龍竿(バトルドラゴン)90・セオリー通りで、
超硬90を造るれば・・・の原点回帰が豪龍竿90・そして安価で細身で硬い竿もがFM超超硬88=50000円・新企画が超硬を持ち替えて「柔」の釣りも、
出来る上級鮎師に80+65d夢のコラボを低価格で供給したい!が現実化=征龍竿90早瀬ハイパワ−!!と新提案は溢れ出す。
今年は新規参入者や中級者が満足して長期間愛用して下さり納得の価格で購入できる急瀬ロッド=引抜急瀬90ECO,V(80+60dも使用)を販売中。
このECO・V、ファクトリー受けがすこぶる良く¥78500(税込)の価値の倍近くはある!絶対完売!と身内のお墨付きを頂いた。が、・・・・(さて結果は)。


 まだまだ、夢はある。7継9mは存在する6継9mの仕舞寸法が常識外に長い先短・超細身の鮎竿を造る事。
もしくは140cm仕舞で9〜9、8m位の9〜10〜11継ぎの超先調子RODの設計。
LURE分野では性能重視でワンピースや150cm以上のRODはある。石鯛竿・船竿も徐々に車のトランクに入るサイズから調子優先的竿の提案がある。過去20数年思い続けている事使い易い竿を造る時延ばし切りの状態の性能や太さ軽さ・重さ・調子が竿本来であると!
如何に細く・バランスを取れる為には素材の良さと仕舞寸法と継数がある程度未知の分野を解決してくれるのではないか!と考え続けている。
今の所誰の賛同も得てはいないが、12mや11mが使い易くなったり9.5mが当たり前の様に9mのバランスを取れる方法がこれだ!と思っている。
常識を覆す事で新しい常識が生まれ出てくると思うのだ。
夢が現実に向かうビジョンとなる様頑張りたい!

もう一つ、非・常識な竿造りで温めている事があるが、竿の出来具合をプロトで造ったらいつか公開してみたい!

NEW ちょっと公開! 超超硬 超硬調 急瀬 フナヤオリジナル 鮎竿の秘密